過去記事のリライトが恥ずかしい人へ|その気持ちを克服するまでの話

過去記事のリライトが恥ずかしい人へ|その気持ちを克服するまでの話 考え方
過去記事のリライトが恥ずかしい人へ|その気持ちを克服するまでの話

過去記事をリライトしようと思って、自分のブログの管理画面を開いた。

タイトルをクリックして、冒頭の数行を読んで、そのままそっとタブを閉じた。

そんな経験はありませんか?

文章が「下手だから」というより、当時の自分の必死さがそのまま残っている感じがして、それを直視するのが、ただただ恥ずかしい。

ブログ初期に沢山書いた記事を、中期にリライトしようと思った時に立ちはだかる、ブログ運営の壁の一つですね。

過去記事のリライト方法はいくらでも検索できますけど、「恥ずかしくて見れない」という気持ちの克服の仕方、あんまりなくないですか?

克服方法って何がある?

正直言ってしまえば、精神論なので正解がないのが答えになるのですが…。

ブログ運営中期に入った私が感じた「過去記事をリライトする時の恥ずかしさ」の向き合い方について感じたことを、今回は書いてみることにしました。

なぜ過去記事は、こんなにも恥ずかしく感じるのか

なぜ過去記事は、こんなにも恥ずかしく感じるのか

正直に言うと、恥ずかしい理由は「文章力の問題」じゃないと思っています。

  • 知識が甘い
  • 言い回しが稚拙
  • 構成がめちゃくちゃ

もちろんそういう部分もあります。

でも一番きついのは、そこじゃないと思います。

当時の自分の、

  • 焦り
  • 自身のなさ
  • 必死さ

これらがそのまま文章に残っていること。

「稼げるかも!」「このままでいいのかな?」「とにかく何か書かなきゃ!」

そういう感情を抱えたまま書いた文章を、時間が経った今の自分が読む。

それは、昔の日記を人に見られる感覚に近いのかもしれません。

通りすがりの女
通りすがりの女

なんかむずむずとした恥ずかしさがあって、見なくていいなら見たくないわよね…。

恥ずかしくなるのは、成長している証拠…でもある

恥ずかしくなるのは、成長している証拠…でもある

よく、「過去記事が恥ずかしいのは成長している証拠」と言われます。

たしかに、それは間違っていないと思います。

たとえそれがAIに頼って書いた記事であったとしても、です。

何年経っても「同じ文章」「同じ考え方」「同じ視点のまま」だったら、そもそも恥ずかしさは生まれませんからね。

ただ、そう頭で分かっていても、実際に画面を開くとやっぱりきつい。

成長しているから大丈夫、なんて簡単に割り切れたら苦労しません。

リライトできない理由は、技術じゃなかった

リライトのやり方が分からないわけじゃない。

直したほうがいい場所も、なんとなく見える。

それでも手が止まる。

それは、リライトすることが「当時の自分を否定する行為」みたいに感じてしまうからだと思うのです。

あのときの自分は、あのときなりに必死だった。

それを「今見るとダメだな」と切り捨てるのが、どこか申し訳ない。

だから「恥ずかしい」という感情の裏には、自分への気遣いみたいなものも混ざっている気がするんでよね。

みなさんはどうですか?

克服とは、恥ずかしくなくなることじゃなかった

ここで、はっきりと断言したいと思います。

過去記事を読んでまったく恥ずかしくなくなる日が来るかと言われたら、たぶん来ません。

今でも昔の記事を読むと、少し胸がザワっとします。

でも、私が「克服できた」と感じたのは、恥ずかしくなくなったからではありません。

恥ずかしいまま、画面を閉じなくなったからです。

最後まで読めなくてもいい。

直せなくてもいい。

それでも、少しの時間、向き合えるようになった。

私はそれを、「克服」と呼ぶことにしました。

たったそれだけで「克服」という扱いになるのならば、少しくらい気持ちが軽くなりそうな気がしませんか?

過去記事は、もう「今の自分の文章」じゃない

あるとき、過去記事を読んでいて気づきました。

今の私は、過去記事を書いた当時の「書いた本人」じゃない。

判断できるし、距離も取れるし、「これは今ならこう書くな」と考えられる。

過去の自分は、素材を置いていってくれただけ。

今の自分は、それをどう扱うか決める編集者。

そう思えるようになってからは恥ずかしさは完全に消えなくても、過去記事を少し扱いやすくなったような気がします。

どうしても見れない日のための最低限ルール

どうしても見れない日のための最低限ルール

それでも今日は無理…、という日もあります。

そんなときの為に、これだけで十分だよルールを設けてみました。

  • 全部直そうとしない
  • 5分だけ見る
  • タイトルと冒頭だけ確認する
  • 「今日は見れた」で終わってOK

克服は、「一気に乗り越えるもの」じゃなく、「少しずつ耐えられるようになるもの」だと思っています。

恥ずかしい過去記事にも、価値は残っている

過去記事が恥ずかしいのは、自分の内側の問題。

検索して読みに来た人は、その文章が「昔のあなたが書いたものかどうか」なんて知りません。

読者が見るのは、ただの情報と体験談。

恥ずかしいと思っているのは、自分自身だけです。

まとめ|小さな積み重ねで「恥ずかしい」克服する

正直に言うと、今も過去記事を読むのは少し恥ずかしいです。

でも、前みたいに画面を閉じて逃げなくなった=「克服」ができました。

それだけで、私は十分前に進んだと思っています。

過去記事のリライトが恥ずかしい。

そう感じる人はたぶん真面目で、ちゃんと向き合ってきた人です。

克服は、恥ずかしさを消すことじゃありません。

恥ずかしいまま、少しだけ触れられるようになること。

それで今は十分なのではないかなと思うのです。

ブログはいつだって孤独な個人戦。

どんな悩みだって一人で解決していかなくてはなりません。

一つの考え方に固執するのではなく、もっとおおらかで適当なメンタルで取り組んでもいいと思うのです。

「恥ずかしい」を克服して過去記事をリライトした先には、きっと素晴らしい結果が待ち受けている。

そう思って今日もより良い記事に更新していくのが、また戦略的で楽しいではありませんか。

過去記事を見るのが恥ずかしくてなかなかリライトが進まない人。

まずは5分だけ見る、そこから始めてみませんか?

人間って思ったよりも単純で、慣れてしまえば何とも思わない。

むしろ「昔こんなダサい記事書いてた!」って面白がれる余裕ができるかもしれませんよ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました